夏採用でNNT脱却した躁鬱就活生

留学もしてないし非体育会系だしガクチカ特になくてNNT になったけど夏採用で行きたいとこに行けました。

私の夏採用体験記

 誰かに読んでほしいわけでもないし誰かに褒めてほしいわけでもない。

 

 ただ自分がそうだったように、就職活動で心が折れそうにって諦めたくなり、太陽の真下で何度も死にたいと思うようになった人が、なっている人がいるかもしれない。

 そんな人の目に偶然入り、何か役に立てばという思いで、簡潔的なものだが体験記を書くことにした。私の就職活動は辛く苦しく思い出したくもないものだ。だからこそ、こんな体験をして乗り越えた経験を話すのが私にできることなのかもしれないから。

 

① 私はこんな人

 私は地方国立大学の文系学生だ。地元は大学の所在地より遥かに遠い場所にある。英語は可もなく不可もなくという点数をTOEICで取った程度のレベルしかない。学生時代に頑張ったことはありきたりなアルバイトしかなく、差別化できるものでもなかった。当然留学や体育会の経験も長期インターンの経験もない。しかし見栄だけは立派な人間で志望する企業は大企業。私の就職活動は自分の見栄とどう付き合うかが一つの課題だったように思える。

 

② 志望業界と結果

 元々、某不動産デベロッパーを志望していた。今もそこに行きたかったという気持ちが当然ある。しかし、デベロッパーは超高スペック学生含むあらゆる就活生からの憧れの業界であり狭き門だったことから、デベロッパー専願ではなく、BtoBメーカー、専門商社をも志望していた。結果、GWまでに50社ほどにESを提出し、「どこかは引っかかるだろう」という思いだった。

 

 先に結果を言う。それらの企業は6月までに全て落とされた。 

 

 正直、こうなるとは思わなかった。自分は見栄張りでプライドの高い人間な分、「この俺が50社も出して全部落ちるはずがない」という傲慢があったのかもしれない。自信満々の振る舞いからか、私は面接で割と最終面接やその一個前までは進めることが多かった。

 しかしその先が突破できない。一日に2~3個の面接を受ける。そしてそれらの企業にまとめて祈られる。また面接を受ける。祈られる。受ける。祈られる。GW明けから6月までこの繰り返し。この連続は見栄張りプライド人間の私の自信を打ち砕くには十分だった。


 そして6月の3週目になる。最後の一社で最終面接。どうしても行きたい業界だった。何度も何度もESを読み返し、企業のIR情報を隈なく調べる。その業界の動向や展望も調べる。

 ただ、いくら調べても調べても自信にならない。それもそのはず。私は内定がないのだから。今までだって同じように対策してきて落とされた。私には採用を決める役員の心を動かすものを持っていない人間なのだから。いくら対策してもそんな思いしかない。


 不安からの寝不足で迎えた最終面接。当然に落ちた。これで持ち駒は全て無くなった。

 

③ 母からの電話

 この面接が終わった時、自分の頭にあるのは「死」という言葉だった。ゼミ生も友人も内定を持っていて惨めな気持ちしかない。就職活動の相談に乗ってくれ、お金の無心に嫌な顔一つしなかった母から電話がかかる。情けなさから顔向けできないと思い出れない。いっそこんな無能な息子なんか放っておいてほしかった。

 しかし何度も何度もかかってくる。持ち駒がすべてなくなったことは報告していたから励ましか激励の電話だろう。しかし、死を考えていた私が欲しかったのはそんな言葉ではない。「もう頑張らなくていい」「もうあんたみたいな腑抜けは知らん」そんな言葉だった。「これなら一度電話に出て見捨ててもらおう。それで気兼ねなく自殺ができる」という思いで電話を取った。

 案の定、励ましの電話だった。そして諦めずに頑張ってほしいという電話だった。大学に入ってから初めて大泣きした。「もう無理だ」「死にたい」「見捨ててほしい」そんな言葉を嗚咽交じりに話した。でも母の言葉はこうだった。

 

「あんたが自分をどう思おうと私たちの自慢の息子よ。見捨てるわけないじゃない。歯を食いしばって限界まで頑張って頑張って、それでもだめだったならいつでも帰ってきなさい。うちの家族にはあんたを否定する人なんていないんだから」

 

 涙が止まらなかった。電話先に母がいるのに何分も嗚咽交じりに泣いた。そして同時に私は自分の間違いに気づいた。

 

 私がいくら無能だとしても、親は私が足を向けて寝ても何も嫌な気持ちをしない。だって自慢の息子なのだから。逆に、親は私が何もかも諦めてしまったら心から悲しむ。だって私は自慢の息子なのだから。

 

 まだできる。まだやれる。心がぼろぼろで決壊間近でも、将来に光を感じることができなくても、私はここで諦めるわけにはいかない。私はパソコンを開きESを書き始めた。

 

④ Re:Start

 追加で15社ほどESを出した。絶対にここから決めるという思いで一社一社真剣に向き合い面接に行く。そして祈られる。面接を受ける。祈られる。受ける。祈られる。

 結果だけ見れば春と何も変わらないが私の心は大きく変わっていた。落ちるたびに心が崩壊しそうになりながらも自分を鼓舞し、おいしいものを食べ、次の一社に向き合う。春先に持っていた見栄とプライドからくる根拠のない自信を持ち続けた。

 それでもうまくいかない。受ける。祈られる。受ける。祈られる。さらに追加でESを出す。そうして7月の最初の二週間は終わった。

 辛い。やめたい。当然その気持ちはあった。しかしその気持ちを封じる。まだ折れていない。まだ俺の心は生きている。その心だけを持ち続けた。いつか報われる。報われないのなら報われるまで頑張る。

 

 その心を神様が祝福してくれたのかもしれない。転機が訪れる。

 

⑤ 転機

  7月の3週目。複数の製品で世界最大のシェアを誇るメーカーの一次面接を受けた。正直、ESを出した時は記念受検感覚だった。しかし不思議なことに、その企業の面接官に対しては、自分の言葉で何もかもが言える。こんな感覚は初めてだった。

 

 よく面接のアドバイスで「自分の言葉で話せ」とあるが春の私にはその意味が分からなかった。自分の言葉ではないとはどういうことかと。それが春にぼろぼろだった理由かもしれない。しかし、この企業でその意味がようやく分かった。

 

 二次面接に呼ばれる。その面接までに多くの企業を受けほとんどから祈られた。二次面接は部長クラスがずらりと並んでいて厳かに感じた。緊張でのどは乾き手は震える。

 

 しかし、私はそんな中でも不思議なことに堂々とふるまえた。自分が伝えたいことを、自分の思いを、自分の言葉で話せた。面接官も笑顔で様々なことを聞いてくださり、私もその質問に自分の言葉で笑顔で答える。よく「面接では会話を意識しろ」と言われるが、私はまさに会話をしていた。面接官の一人からの「君は面白いし共感できる」という言葉が、大学の入学祝いや6年生の時の最後のクリスマスプレゼントといった今までもらったどんなプレゼントよりも嬉しかった。

 

 その夜は中華屋で大好きな麻婆豆腐を食べた。注文が来ると同時にその企業から電話が来た。「ぜひ最終面接に進んでほしい。あと、面接官の〇〇さんがあなたと一緒に働きたいと伝えてくれと言ってたよ」という電話だった。あの日食べた麻婆豆腐は人生で一番美味しかった。

 

⑥ 最終面接

  電話の3日後に予約をしていただいた。今までと同じように対策をする。今まではいくら対策しても自分の糧になっている感覚はなかったが、心の持ちようからか、対策で得た知識の一つ一つが私の糧になっているように感じた。正直、落ちる気はしなかった。ここと縁が無かったら素直に既卒で就活しようという思いで、背水の陣の覚悟を胸にもった。

 

 そして迎えた最終面接。役員と人事が2名ずつ。面接会場の役員会議室は面接官との距離感があり、やはり緊張した。

 しかしここでも私は何もかも自分の言葉で会話をすることができた。役員からも笑みがこぼれ私も笑顔であらゆる質問に答える。「行けたな」と思う余裕を感じることができるほどだった。そして終了時間前にこんな質問を受けた。

 

「最後の質問です。あなたが就職活動を通して成長したと感じることはありますか?」

 

 成長か。春までの私なら何も答えれなかったんだろうな。見栄とプライドで大企業を大雑把に受け、自分の言葉で話すこともできず、自分が何者かを語ることもできなかった。それで得たものは挫折のみで、これからの自分につなげることなんてできなかった。

 

 でも今は違う。私は春の私とは違う。


    その挫折に立ち止まらなかった。その挫折を糧にした。何度も何度も歯を食いしばり、見えない未来に向かって這いつくばった。


    これができたことが私の成長だ。

 

「6月まで内定が出なかった私は生まれて初めて大きな挫折を味わい、諦めてしまおうと思っていました。しかし、そこで諦めずに、根拠のない自信をもって、耐えて耐えて耐え続けて、そして今に至ります。就職活動は私に挫折を教えてくれたと同時に、私に耐え続ける力を、諦めずに前へ進もうとする力を与えてくれました。この力を得たことが私の成長です」

 

 正確な言葉は覚えていないがこのようなニュアンスの話をした。役員は笑顔でうなずいてくれ、数分後、別室で人事に内定を伝えられた。8月1日の正午より少し前、それは私の就職活動が終わった瞬間だった。

 

⑦ 最後に

  私が内定を頂けたのは運が8割以上を占めていると感じる。ただ、この幸運をつかむために、私は心が壊れかけても耐え続けた。夏採用含めてESは70社ほどに提出した。受けるたびに祈られたがそれでも耐え続けた。その結果が幸運につながった。

 

 内定が出ないのは辛いし死にたくなる。私もそうだった。しかし、そこで耐えてみる。開き直ってみる。前を向いてみる。就活に何か一つ答えがあるとするならそれは精神論に行きつくのだろう。

 

 私のような無能でも心構え一つ変えただけで幸運をつかむことができた。就活は縁と言われるのは人によって幸運が来る頻度が異なるからだろう。だからこそ、幸運を引き寄せるための心を持つことが必要なのかもしれない。


     結局、よく言われるように就職活動は縁なのだ。その縁を掴むために、どんなに不格好でも、どんなにしんどくても耐え続けて這い蹲り、歩き続ける。誰もがこうしないと内定を取れないわけではないが、こうして初めて内定が取れる人間もいる。私がそうだ。


    諦めなくて本当に良かった。あの時死ななくて本当に良かった。社会に出てからも、この経験が私の力として役に立つ日が来る気がする。 

 

雰囲気

過去の自分の記事を読み返すとですますになってたり日記調になってたりしてたけどデスマスの方が僕は好きかもしれないなあ。


記事読んですでに4月には鬱になってたのはびっくりしました。7月以降は開き直って前向きに取り組めてたので。


たしかに春の私は暗かった気もします。父親も7月以降私にあった時「春よりいい顔してるし絶対受かるよ」と言ってくれました。


こういうのが面接官も見てるんでしょうね。隠せてると思っても隠せてない。逆に内定取れたとかはほんとに前向きな気持ちで受けれたからこれが差なのかもしれないなあ。


夏採用

春採用で惨殺されて鬱になり、もう辞めてしまおうかと思ったけど彼女や友達、何よりも良心の応援で頑張ろうと思えました。


夏採用は狭き門です。しかも体育会系やら留学帰りやらがぞろぞろやってきます。その中で枠を勝ち取れたのは正直運が良かったんだと思います。


来年以降就活する人で絶対に誰かは春で決まらずに夏までやらないと行けなくなる人がいると思います。でも諦めないで欲しい。


この諦めなかった経験が自分を大きく成長させた気がします。

お久しぶりです

遅くなりましたがやっっっと行きたい企業から内々定を頂けました。


正直最初は不安ながらも「売り手市場だしな」と考えながら舐めてた気持ちもあって大変なことになってたのですがほんとによかったです。


第一志望に落ちて鬱になってほんとにつらくてもう辞めてしまおうかと思うことが多々ありましたが、夏まで頑張ろうと決めて何度も何度も祈られても心をズタボロにしながらも粘り続けて本当によかったです。


夏採用の時期はスーツが苦しく電車で泣きそうになるし親には顔向けできなくなるし辛かったけどその分ほんとにほんとに合格の通知をいただいた時は嬉しかったです。


いつか人事で採用担当の立場になるかもしれませんが、その時はこの経験から、学生に思いやりを持った人材として働きたいですね。


就活終わり!!やっぴーーーー!!!!



ゴールデンウィーク

やっと終わるゴールデンウィーク。アルバイトしたり遊んだりとリラックスは一応できたがあまり心が休まらなかった。だって明けたら第一志望群の企業の最終面接があるから。

最終なのに非常に倍率が高いから準備もした。むしろ早く休み終われ。